ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相
岸田文雄
岸田 文雄 きしだ ふみお | |
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![]() 2017年 大阪市内で演説する岸田 | |
生年月日 | 1957年7月29日(64歳) |
出生地 | ![]() |
出身校 | 早稲田大学法学部卒業 |
前職 | 日本長期信用銀行行員 衆議院議員岸田文武秘書 |
現職 | 衆議院議員 |
所属政党 | 自由民主党(岸田派) |
称号 | 法学士(早稲田大学・1982年) |
配偶者 | 岸田裕子 |
親族 | 祖父・岸田正記(元衆議院議員) 父・岸田文武(元衆議院議員) 従兄弟・宮澤洋一(参議院議員) |
公式サイト | 岸田文雄ホームページ |
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内閣 | 第2次安倍内閣 第2次安倍改造内閣 第3次安倍内閣 第3次安倍第1次改造内閣 第3次安倍第2次改造内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日 - 2017年8月3日 |
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内閣 | 第3次安倍第2次改造内閣 |
在任期間 | 2017年7月28日 - 2017年8月3日 |
内閣 | 第1次安倍改造内閣 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年8月27日 - 2008年8月2日 |
内閣 | 第1次安倍改造内閣 |
在任期間 | 2007年8月27日 - 2007年9月26日 |
選挙区 | (旧広島1区→) 広島1区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 現職 |
岸田 文雄(きしだ ふみお、1957年7月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、宏池会会長(第8代)、自由民主党広島県連会長[1]。
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)、外務大臣(第143代・第144代)、防衛大臣(第16代)、自民党国会対策委員長(第52代)、自由民主党政務調査会長(第58代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。血液型AB型。
中小企業庁長官、衆議院議員を務めた岸田文武は父[2]。戦前戦後に衆議院議員を務めた岸田正記は祖父。参議院議員・経済産業大臣を務めた宮澤洋一は従兄弟。愛称は「キッシー」[3][4]。
経歴[編集]
出生[編集]
東京都渋谷区出身。本籍地は広島県広島市比治山町(現:南区比治山町)。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[5]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[5]。
学生時代〜銀行員時代[編集]
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国・ニューヨークに居住し、小学校一年生から三年生まで三年間、現地の公立小学校に通う[6]。1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[5]。岸田にとって少年時の在米経験は、人種差別により正義感と義憤の念を強く持つものとなったが、アメリカ国家としては大らかさ、多様性、活気が印象付けられ、国家の普遍的価値である「自由」に大きな影響を受けることとなった[5]。
1966年6月にパブリックスクール三年次を修了(米国は小学校入学が日本より半年早い)して日本に帰国。7月に千代田区立永田町小学校の三年次に転入。千代田区立麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校入学[7]。野球部に入部し、高校生活を野球に捧げ、その傍らでロック/フォークの流行に影響を受けギターに打ち込む[7]。岸田は開成の絆を後半生においても大切にし[注釈 1]、大臣を歴任する政治家となったのちに500名以上の開成OB官僚を率いる開成会の「永霞会」(永田町・霞が関開成会)主催者となっている。1976年に同高校を卒業、東京大学合格を目指し2年間の浪人を経験。1978年に早稲田大学法学部に入学。1979年、父・文武が通産省を退官し、衆議院議員に当選。1982年、同大学同学部(民法(不法行為):浦川道太郎ゼミ[8])卒業[2]、同年日本長期信用銀行に入行[2]。
長銀入行後、最初の配属は本店勤務で外国為替業務を2年半経験し、こののち海運業界担当の営業マンとして高松市に2年半赴任した[7]。世界の金融マーケットで巨額の資金を動かす外国為替は銀行における花形業務である。しかし岸田は高松の地方営業では利息すら払えなくなった会社から経営再建の支援継続を相談されたり、倒産や夜逃げを目の当たりにして世間の厳しさや経済というものの激しい実態を知った[7]。銀行員として社会の矛盾を感じながら、5年間の長銀勤務を終える[7]。
政界[編集]
1987年、長銀を退職して父・衆議院議員岸田文武の秘書となる[2]。岸田の父は口数が少なく、岸田は父の背中から多くを学んだ[7]。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選[2][9]。父親と同じ宏池会に所属する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い広島1区から出馬し、以後広島1区で連続8選[2]。1997年には若手議員の登竜門とされる党青年局長に就任した[2]。
2000年、派閥領袖の加藤紘一が起こした「加藤の乱」に血判状をしたためて参加。乱の鎮圧後は堀内光雄、宮澤喜一らから声をかけられ堀内派に属した[10]。
2001年、第1次小泉内閣で文部科学副大臣に任命される。2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)に任命され、初入閣した[2]。続く福田康夫内閣でも内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、科学技術政策)に任命され、引き続き入閣。
2008年、新設された消費者行政推進担当、宇宙開発担当大臣を兼任[2]。福田康夫内閣 (改造)の発足に伴い大臣を退任し、党の消費者問題調査会長・道路調査会副会長兼事務局長、団体総局長に就任[2]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島1区で民主党の菅川洋を破り、6選(広島県の小選挙区で議席を獲得した自民党の候補者は岸田のみ。また、広島1区では初めて次点以下の候補者が比例復活した)。2011年9月、自民党総裁谷垣禎一の下、党国会対策委員長に就任し、野党自民党の国会対策を担い与党民主党との交渉を担った。(2012年9月退任)[2]。2012年10月、政界引退を表明した古賀誠から宏池会を継承し、第8代宏池会会長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、広島1区で7選。
外務大臣[編集]
選挙後に発足した第2次安倍内閣では外務大臣として入閣し[注釈 2]、第2次安倍改造内閣で留任、さらに2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で8選した後に第3次安倍内閣でも再任、自民党総裁選後の2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣でも外相を留任する。
2015年7月5日に決定した軍艦島のユネスコ文化遺産登録では、韓国の妨害に対して「forced to work(働かされた)」という表現を用いて遺産の説明を行うことで対処した。この表現について岸田は「強制連行」を意味しないことを明言し、徴用工訴訟問題と関連付けしないことも合意させた[12]。
同年12月28日ソウル市内で尹炳世韓国外交部長官と外相会談をし、日本国政府は韓国政府が設立する元慰安婦を支援するための財団に10億円拠出し慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決することで合意する日韓合意がなされた[13][14]。
2016年4月、地元広島で開催されたG7外相サミットの議長を務め[15]、他のG7外相と共に広島平和記念公園を訪問。広島平和記念資料館を訪れた後、原爆死没者慰霊碑に献花を行う[16]。同年5月、バラク・オバマの広島訪問が実現した際にオバマに対して原爆ドーム、原爆の子の像、折り鶴などについて通訳を介さずに英語で説明を行う[17]。
参議院選挙後、同年8月に発足した第3次安倍第2次改造内閣でも留任。同年12月、安倍晋三の真珠湾訪問に同行する[18]。2017年1月6日、外務大臣在職期間が大平正芳を超え、戦後の外務大臣としては歴代2位[19]、専任の外務大臣としては歴代最長となる[20]。
外相の起用[編集]
政策面では、内政の知識と経験が豊富であるが、外務大臣に起用されるまで外交に携わった経験はなく、幼少期のニューヨーク在住を除けば留学・在外勤務の経験もないため、本来なら外相は門外漢であった。しかし、外相起用に際しては普天間基地移設問題などを念頭に、岸田が沖縄担当相を歴任し、知事の仲井真弘多との親交も深いことが理由とされる一方、中国要人との太いパイプを持つ古賀誠を後見人に持ち、対話を重視するスタイルの岸田の起用が中国など関係諸国へのメッセージであるとの報道もある[21]。
安倍晋三とは1993年の当選同期であり、派閥は異なるが関係は良い。安倍が幹事長代理を務めていた時代に、党改革で議論を交わした仲とされ[22]、1度目、2度目いずれの安倍内閣にも入閣しており、信頼も厚い。特に、第2次内閣発足以降、「タカ派」と評される安倍が、連続5期、4年半余りにわたって岸田を外務大臣に起用し続けた理由については、岸田の実務能力を買ったともされるが[23]、『夕刊フジ』は「ハト派」で「親米派」でもあるが「親中派」でもある宏池会出身という点を鑑みて、菅、石破、河野らの人事も含め、中国をはじめとする周辺諸国への友好姿勢をアピールする狙いがあると報じた[24]。
防衛大臣[編集]
2017年7月28日、自衛隊南スーダン派遣での日報の隠蔽疑惑に関する問題の責任を取って稲田朋美が辞任したのに伴い、内閣改造までの一週間に渡って防衛大臣を兼務した[25]。外務大臣と防衛大臣の兼務は憲政史上初であった[2]。
政調会長[編集]
2017年8月の内閣改造では以前から希望していた党三役ポストである自由民主党政務調査会長に就任し、安倍晋三首相を支持して党内を乱さないことで2020年以降の『ポスト安倍晋三』に向けて存在感を示す方針を取った[26][27]。
2018年9月の自民党総裁選挙に向けては、岸田派内では若手を中心に岸田の出馬を求める主戦論が優勢である一方、ベテランなど一部に今回は首相支持に回り3年後に首相からの「禅譲」を狙うべきだとする慎重論があり[28]、最終的に7月24日に岸田が自身の立候補見送りと安倍への支持を表明したが、党内からは「乗り遅れだ」との冷ややかな見方が広がった[29]。
2020年の自民党総裁選には、9月1日に岸田派の臨時総会で出馬を表明した[30][31][32]。結果は内閣官房長官の菅義偉に敗れ、2位に終わり、「今日の戦いが終わった今、新たなスタートだと思っている。総理・総裁を目指して次の歩みを進めていきたい」と述べた[33]。
2020年9月11日、初の著書となる『岸田ビジョン 分断から協調へ』を出版した。当初は15日に出版する予定であったが、14日の総裁選投開票日に間に合わせるために前倒しされた[34]。
総裁選後の2020年9月15日に政調会長を退任した。
政調会長退任後[編集]
2021年3月27日、自由民主党広島県連会長に就任。同会長を務めるのは3回目[1]。
同年5月12日、自民党本部で二階俊博幹事長と会談。党本部が2019年の参院選広島県選挙区をめぐり、現職の溝手顕正を追い落とすため、河井案里陣営に送金して買収の原資になったとの指摘がある1億5000万円について、使途解明を急ぎ、国民に説明するよう申し入れた(詳細は河井夫妻選挙違反事件を参照)[35][36]。
同年8月26日、自民党の総裁選挙管理委員会は、総裁選の日程を「9月17日告示、29日投開票」と決定した[37]。この時点で、二階、麻生、細田派会長の細田博之、公明党代表の山口那津男らは菅義偉首相の再選支持を明らかにしていたが[38][39][40]、同日、岸田は国会内で記者会見し、総裁選出馬を正式に表明した。立候補する理由を「自民党が国民の声を聞き、幅広い選択肢を示すことができると示し、日本の民主主義を守るため」と語った[41]。
人物[編集]
- 宏池会に所属し、派閥会長を務めた古賀誠との関係が近く、古賀の側近とされた。宏池会の政治家らしく酒豪で知られ[42]、自民党青年局における台湾との交流では、青年局長であった安倍晋三や、小此木八郎、浜田靖一らが揃ってあまり酒を飲まないため、酒に強い台湾の政治家らの歓迎を一手に引き受け、ビールも紹興酒もマオタイも次々に乾杯して文字通り杯を空(乾)にしたという[11]。これは岸田の「酒豪伝説」として知られている[11]。
- 宏池会の議員古賀篤の話によると、会長の岸田は「人の意見を受け止めるタイプのリーダー」[43]。
- 何事もそつなくこなすジェネラリストと評されている[22]。
- 学生時代のクラブは、中学時代は軟式テニス部、高校時代は野球部[6]。守備はショートまたはセカンド、打順は1番または2番で、時々6番だった[7]。
- 親族のほとんどが東京大学を卒業している中で東大受験に3度失敗し、東大を卒業した従兄・宮澤洋一と比べて自分の資質を疑問に思ったこともあったという[7]。
- 早稲田大学で岩屋毅と知り合い、在学中は岩屋らと繁華街を飲み歩いていた[7]。酒の席で岸田の聞き上手が発揮されたという[11]。
- 早稲田大学出身ではあるが、政治家を多く輩出している早稲田大学雄弁会には参加していない[44]。
- 「加藤の乱」のように政治生命を賭けた勝負もするが[11]、岸田は理念をはっきり主張しないことによって敵を作らない順応型であるから有力な地位が持てたのだとも指摘されている[20]。温厚で敵を作らない性格で知られているが、総裁選中に出演した民放番組で司会者に「敵がいない」と人柄をほめられると「実際敵だらけだからこうなってんじゃねえかな」と答えた[45]。
- 『デイリー新潮』には「超つまらない男」という記事を書かれたことがある[46]。
- 一方向に振れることのない岸田のスタンスは、バランスが取れているとも方向がはっきりしないとも言える特徴がある[20]。著書もなくビジョンがない[20]、このように言われていた岸田は2020年9月に初めて著書を出版してビジョンを示し、立て続けに翌月、核廃絶を訴える著書を出版した。
- 2020年総裁選から「キッシー」の愛称を公認し、SNS等で使うようになった。もとは同期議員の間でのあだ名だったという[47]。
- 東京都出身だが、父親の影響もあり幼少期から広島東洋カープのファン[48]。セントラル・リーグ初優勝時(1975年10月15日)には後楽園球場まで観戦に行ったとのこと[48]。
- 日本新体操連盟が2003年に社団法人として設立された際に名誉顧問に委嘱されている[49]。
- 外見がハンサムであることが注目されている。「政界きってのイケメン」ともいわれ[50]、『週刊女性PRIME』からは外相時代の2017年に「イケメン大臣」として言及された[51]。隣国の韓国からも「スラッとしてハンサム」「知的」「落ち着いた表情がいい」「ダンディーですてき」「洗練されている」など賞賛の声が一部で上がっている[52]。
- 2015年、第28回日本メガネベストドレッサー賞・政界部門を受賞[注釈 3][53]。
- 議員宿舎で息子3人とともに生活しており、家庭では風呂洗いや皿洗いを担当している[54][55]。
- おとなしい語り口で知られるが普段はべらんめえ口調である[56]。
- 反核運動家のサーロー節子、タレントの宮澤エマとは遠縁にあたる[57]。
- 座右の銘は「天衣無縫」[58]、「春風接人」[59]。
- 好きな食べ物は納豆[58]。
- 好きな漫画として大和田秀樹の『疾風の勇人』シリーズ[60]、弘兼憲史の『課長島耕作』シリーズ[61]をあげている。
- カラオケで得意な歌としてサザンオールスターズ「涙のキッス」を挙げている[62][63]。
エピソード[編集]
政界入り以前[編集]
- 幼少時代、岸田の通ったアメリカの学校には黒人、インド人、韓国人などの児童も通い、仲良くしてくれる白人児童もいたが、差別も経験した。例えばトイレで横の白人からの舌打ちは日常茶飯事で[注釈 4]、差別用語を浴びせられることもあった[7]。特に動物園の遠足で教員の指示を受け隣にいた白人女子児童と手をつなごうとしたものの拒否され、眉をひそめられたことに岸田は大きな衝撃を受けた。この経験は岸田が政治家を目指す原点となった[7]。
- 在米時の岸田は『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』を英語で理解して観賞することができ[5]、他の日本人児童への対応で教員から助けを求められることもあったと言う[7]。
- 野球部時代には高橋慶彦と対戦したことがある[67]。三菱製紙上席執行役員・林康司、商工中金社長・関根正裕、東京医科歯科大学准教授・清水則夫らは岸田の開成同期で開成野球部のチームメイト[68]。誰かが失敗したら、みんなでカバーすればいいという宏池会議員としての岸田の信念は、野球のチームプレーから生まれた[69]。
- 部活が中心だった開成高校での学業の成績は中くらいを確保していたので東大は受かると思い、現役は東大のみを受験、1年目の浪人時も東大のみ、浪人2年目で東大の他に早稲田と慶応を受験して、早慶はどちらも合格したが、東大・官僚コースと思っていた人生は道を外れた[11]。
- 卒業後、鳩山邦夫秘書となった大学時代の友人・岩屋から、秘書とは「車の運転」「家庭菜園の収穫」「チョウチョの世話」など何でもするものであると岸田は聞かされた[7]。2007年に内閣府特命担当大臣で初入閣時、「岸田大臣室の心得」として定めた五箇条に、早稲田大学校歌に歌われる「進取の精神」という一箇条がある[11]。第2次安倍内閣の外務大臣を担当していた頃の話では、年一回の早大議員同窓会「国会稲門会」には参加していない[70]。
政界[編集]
- 加藤の乱には加藤派の若手として血判状をしたためて参加し、岸田は石原伸晃、根本匠、塩崎恭久と行動を共にし最後まで反乱側に与した。岸田は加藤を「特別な存在」と尊敬しながらも、加藤の野党との関係を匂わす発言や世論への過信に疑問を抱いていた。しかし、加藤が本会議場へ行かなかったことについては「屈辱のピエロ」となることで自分達若手を守ったと解釈しており、実際に乱の鎮圧後、岸田には処分が下るどころか党経理局長のポストをあてがわれた。加藤の乱の経験はその後の岸田に大きな影響を与え、「政治家として勝負をかけた時は、絶対に負け戦をしてはダメだ」という慎重な姿勢の原点となった[7]。
- 2004年4月4日、広島市南区の比治山陸軍墓地にて、岸田が会長を務める広島比治山陸軍墓地奉賛会の主催で合同追悼式が行われた[71]。戦没者の遺族や関係者ら約270人が参列し[71]、岸田は「苦難に立ち向かった人の記憶を語り継がなければならない」とあいさつした[71]。黙祷の後、遺族が祭壇に献花した[71]。
- もともと口下手だが、父の選挙応援の頃から演説は鍛えられ、街頭演説は得意としている[11]。自民党の政治家が街頭演説に力を入れ始める前から、岸田は街頭演説に熱心であった[11]。選挙と関係なく地元広島の街頭で演説するということを新人の頃から続けているが、外務大臣になる頃には人が集まり過ぎて迷惑となるので控え始めた[72]。しかし自民党に大逆風が吹き荒れた2009年の第45回衆議院議員総選挙では邪険にされ、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島前で演説をしたところ、「自民党のボケが何しにきたんじゃ、ワレッ!」「自民党の議員がファンだなんて縁起が悪いんじゃ」などと罵倒された[72]。この大逆風下では、父の代からの後援者さえも、岸田は支持するが自民党は支持しないと冷たく宣言した[72]。
外務大臣時代[編集]
- 酒豪として知られるロシア外相のセルゲイ・ラブロフとの外相会談時には酒量を競い合った。のちにラブロフから豪華な装飾本を贈られたが、表紙を開けると中にはウォッカの瓶が入っていたという[73]。岸田は外相時代、ラブロフに日露両国の歴史上の主張はお互い譲れない一線があるが「未来」に向けた妥協点を探そうと言い続け、次第にラブロフの表情から厳しさが和らいだという[73]。同様に中国外相王毅にも「未来」に向けた妥協点を探そうと言い続けた[73]。ある時、岸田と王毅は2人だけで話し合うことになり、王毅は中国人の前では決して使わない日本語を流暢に使って岸田に語り掛けたという[73]。
趣味[編集]
- 2016年3月27日にG7外相サミットのPRのためMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で行われた広島東洋カープ×横浜DeNAベイスターズ戦にて始球式を行った[74]。
- 「加藤の乱」の同志・石原伸晃から2016年の岸田派の会でキャンディーズとピンク・レディーどちらが好きか尋ねられた時、岸田はどちらが好きと答えず笑顔で質問をかわしたという[75]。石原からキャンディーズファンとピンク・レディーファンの関係を良好に取り計らうのが岸田であると解説を入れられた[75]。
- 大和田秀樹の漫画『疾風の勇人』のファン。第3次安倍第3次改造内閣を控えた2017年7月、東京都内の日本料理店で首相の安倍晋三に同作を熱っぽく紹介した。ちなみに、同作の中では安倍の祖父・岸信介元首相が主人公・池田勇人元首相の「敵役」として登場しており、後でそれに気づいた岸田は「ちょっとまずかったかなあ」と周囲に漏らしたが、安倍は意に介さなかった[60]。
- 弘兼憲史の漫画『課長島耕作』シリーズのファンであり、2021年2月に同作品の主人公である島耕作が新型コロナウイルスに感染し、宿泊施設にて療養する姿が描かれた際は「ぜひ、島耕作さんにおかれましても戦後最大の国難を乗り越えていくその戦いにおいて、しっかりとその一員としてがんばっていただければと思います」とのコメントを発表している[61][76]。
政策・主張[編集]
経済・財政[編集]
- 緊縮財政派として知られている[77]。岸田の側近は、「仮に(岸田が)自民党総裁選に出るとなれば財政再建は政策の大きな柱になる」と発言している[78]。財政出動に関しては、財政健全化の見通しがない中で実施しても、将来への不安を増大させることになりかねないと否定的な立場を取る[79]。「財政健全化の道筋を示すことで、消費を刺激して経済の循環を完成させる」と主張している[79]。
- 2019年の消費税増税について「日本の政治は消費税率引き上げに様々なトラウマがある。成功体験を実感することが大事だ」[80]と発言している。
- 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済対策として、当初は岸田が主導していた減収世帯への30万円の給付が検討されていたが、政府はこれを撤回し、全国民への一律10万円給付を行う形となった。岸田氏は自身のツイッターで『自民党も当初から訴えてきた10万円一律給付を首相が決断した』とツイート。実際、党内にも一律給付を求める声はあったが、最終的な党の提言には盛り込まれなかった。このため党のベテラン議員は「歴史の書き換えだ」、ネット上でも「うそ言わないで」といった批判が殺到した[81]。一方で岸田自身は早くから首相に現金一律給付を提案していたものの、3月28日の首相会見で限定給付が明言されたために持論を封じざるを得なかった経緯があったため、岸田が会長を務める政務調査会の議員からは「我々が散々言っていた案だ。それが公明党の案のようになっている」という声も上がった[82]。
- アベノミクスを評価しつつも、格差の拡大を招いていることを指摘し中間層への分配を主張している[83][84]。
- 地方創生策としてデジタル田園都市構想を主張している[83]。
- 商工族出身であるため、自動車工業界、中小企業零細対策などに詳しい[20]。大手自動車メーカーのサプライチェーンを何重にもなって下支えする中小の下請け業者や、地域社会・商店街の小売店など、中小企業・小規模事業者を守ることを重要視している[83]。
- 国民年金と厚生年金の財政一元化ないしは調整を主張している[7]。
- 三位一体改革によって都道府県に移譲された商工会議所の事業費・人件費の財源を、再び国に移譲することを主張している[7]。
憲法と平和[編集]
- 憲法改正に賛成している[85]。憲法は時代の変化に応じて然るべきものと考える[20]。彼は、9条改正の改憲論が存在し、そういった改憲論者が存在するということは分かっているが、しかしながら彼の賛成する憲法改正とは、直ちに9条を改正するという話ではない[20]。岸田は2015年に派閥研修会で「宏池会は憲法に愛着を持っている。当面、憲法9条自体は改正することを考えない。これが私たちの立場ではないかと思っている。」と主張している[20]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成している[85]。
- 日本の核武装については検討すべきでないとしている[85]。
- 広島陸軍被服支廠を保存すべきとしている[86]。
- 「自民党が右傾化していると言われるが、保守穏健派があると示すためにも、仲間の応援に飛び回りたい」と党内の穏健派をアピールしている[87]。
- 「今の日本の政治において気になることがあります。強いリーダーシップ、米国中心外交、タカ派的体質が強調されることです。それぞれの意義を否定するものではありませんが要はバランスが大切だと思っています。」と述べている[88]。
教育[編集]
その他[編集]
- エネルギー政策に関しては、原子力規制委員会の新基準を満たした原発は再開すべきとしている[85]。
- 女性宮家の創設に反対[85]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかといえば反対(2014年)[89]。2017年は夫婦別姓制度に無回答、同性婚制度も無回答[20]。夫婦別姓やLGBTなどジェンダーに関する考え方は後手に回っていた岸田であったが[20]、徐々に政策見直しを行い2020年9月の共同通信からの質問には「女性の社会進出や核家族化など、時代の変化を的確に捉えた上で議論が必要」、「性的少数者の方が生活していく上で、不利益や不自由を感じない制度が必要」と回答し[90]、2021年3月25日に発足した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」に「呼びかけ人」として参加するに至った[91]。
- 自民党の議員定年制見直しに反対[92]。
- 党執行部の権限が強くなりすぎたとして、自民党の役員任期を1期1年、連続3期までに制限することを主張している[93]。
- 同年9月2日夜、BS-TBSの番組で、学校法人森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざん問題について、「国民が足りないと言っているので、さらなる説明をしなければならない課題だ」と指摘した。この発言を受けた安倍晋三前首相付近などから「岸田がこの問題を再調査」するとの憶測が浮上したが[94]、岸田は「必要があれば国民に説明する」が「再調査は考えていない」と述べた[95]。
政治姿勢[編集]
正姿勢[編集]
「正姿勢」とは、宏池会の設立者・池田勇人が陽明学者の安岡正篤から「低姿勢、高姿勢いずれも間違いだ。自分の政治哲学を持っていれば、おのずから『正姿勢』(正しい姿勢)になる」と助言された言葉である[96]。岸田は宏池会で語り継がれてきた「正姿勢」の助言を聞き入れ、信条としている[72]。平凡社『世界大百科事典』第2版によると、かつて正しい姿勢とは軍隊式の直立不動をいうものであったが、現代社会においては、もっと自然で安楽な姿勢で直立することが基本となっている[97]。安岡正篤は全国師友協会から『日本の機微 低姿勢より正姿勢へ』という題名の文書を刊行している[98]。
2017年第195回国会衆議院本会議の代表質問において、岸田は首相の安倍に「正姿勢」の話を質問の最後に演説した[11]。与党自民党議員は岸田の質問途中から相次いで離席していた[96]。野党は岸田へ拍手を送った[99]。演説後、着席までの25秒間、岸田は万雷の拍手を受けた[100]。政治評論家の杉浦正章は、岸田の演説を池田勇人の低姿勢からの脱皮と評価した[100]。
昭和三十五年、岸信介総理から政権を引き継いだ池田勇人総理が、みずからの政治姿勢として寛容と忍耐という内閣のスローガンを提唱した際、それが低姿勢と受け取られ、責任ある政権の姿として疑問が指摘された、こういったことがありました[注釈 5]。これについて、陽明学者であり、池田総理の心の師であった安岡正篤氏は、低姿勢、高姿勢、いずれも間違いである、自分の政治哲学をはっきり持っていれば、おのずから正姿勢、正しい姿勢になると助言したと言われています。相手の顔色を見て右顧左べんするようでは、国民への責任を果たすことはできません。同時に、野党や国民に上から目線で臨むようでは、国民の信を失い、真っ当な政治を行うことはできません。総選挙において多くの議席をいただいた今こそ、正姿勢、三文字を胸に、公約実現のため、日々前進してまいりたいと存じます。結びに当たり、思いの一端を申し上げ、私の質問といたします。— 岸田文雄、第195回国会 衆議院本会議 第5号(平成29年11月20日(月曜日))
役職歴[編集]
内閣[編集]
- 国務大臣「消費者行政を統一的・一元的に推進するための企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」
- 国務大臣「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」
- 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・規制改革・国民生活・科学技術政策)
衆議院[編集]
- 厚生労働委員長[2]
- 国家基本政策委員会与党筆頭理事[2]
- 国土交通委員会与党理事[2]
- 消費問題委員会与党筆頭理事[2]
- 文部科学委員会与党筆頭理事[2]
- 議院運営委員会理事[2]
- 経済産業委員会理事[2]
- 衆議院議事進行係[2]
自民党[編集]
- 政務調査会長[2]
- 国会対策委員長[2]
- 選挙対策局長代理[2]
- 副幹事長[2]
- 消費者問題調査会長[2]
- 団体総局長[2]
- 経理局長[2]
- 商工部会長[2]
- 法務部会長代理[2]
- 商工部会長代理[2]
- 内閣・商工副部会長[2]
- 財政副部会長[2]
- 青年局長[2]
所属団体・議員連盟[編集]
- 自民党たばこ議員連盟(副会長)[102][103]
- 日本会議国会議員懇談会[104]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[104]
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会
- ボーイスカウト振興国会議員連盟 [105]
- 公立学校施設耐震化会長代行[2]
- 航空議員連盟副会長[2]
- ソフトボール振興議員連盟幹事長[2]
- 子供の体力向上推進幹事長[2]
- 創・畜・省エネ推進議連幹事長[2]
- 臨床心理職国家資格化事務局長[2]
- まちづくり三法見直しWT主査[2]
- 公共工事品質確保議連幹事(制度検討部会長)[2]
- 著作権に関するWT座長[2]
- 消費者問題PT座長[2]
- 核燃料税等PT主査[2]
- 知的財産小委員長[2]
- 証券市場育成議連事務局長[2]
- 保険制度改善議連事務局長[2]
- 日越友好議連事務局長[2]
- 国宝・重文を護る会事務局長[2]
- コンテンツ産業振興議連幹事長[2]
- 小規模企業税制確立議連幹事長[2]
- 学校栄養士議員連盟事務局長[2]
- 外交を学ぶ会事務局長[2]
- 日傷援護議員協議会幹事[2]
- ライフサイエンス議連事務局長[2]
- アイスランド友好議連副会長[2]
- 小規模企業税制確立議員連盟
- 日本新体操連盟名誉顧問[49]
- 日朝国交正常化推進議員連盟顧問[106]
- 美ら島議連初代会長[107]
- 永霞会(永田町・霞が関開成会)初代会長[108]
- 選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟[91]
- 半導体戦略推進議員連盟・顧問[109]
- 新たな資本主義を創る議員連盟会長[110]
家族・親族[編集]
岸田家[編集]
(広島県東広島市、大連市、広島市南区比治山町、東京都渋谷区)
- 実家
- 自家
親戚[編集]
略系図[編集]
岸田幾太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
井口良二 | 岸田正記 | 岸田正次郎 | 宮澤裕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
母 | 岸田文武 | 岸田俊輔 | 邦子 | 後藤英輔 | 玲子 | 宮澤弘 | 宮澤喜一 | 宮澤泰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岸田文雄 | 岸田武雄 | 典子 | 可部哲生 | 宮澤洋一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著作[編集]
- 『岸田ビジョン 分断から協調へ』講談社、2020年9月11日。ISBN 978-4065213278。
- 『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』日経BP、2020年10月15日。ISBN 978-4296106974。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 開成は運動会で絆を深め、結束力のある学園として知られている。
- ^ 岸田は副総理の麻生太郎から「外務大臣を二年以上やったら、みんな体をこわして死ぬ。その中で、生きているのは、おれ一人だけだ」と脅かされた[11]。
- ^ 前回は甘利明が受賞。
- ^ 日本人における舌打ちは苛立ち等のジェスチャーである[64]。一方、英語における舌打ちは「well」「ah」等と同種のコミュニケーションツールである[65]。しかしアメリカには非難、軽蔑、失望の舌打ちもある(基本的に文末で用いる)[66]。
- ^ 政治評論家・杉浦正章によると、池田が低姿勢と受け取られたというより、新安保条約における岸信介のタカ派姿勢への対抗姿勢として池田勇人のブレーンであった大平正芳や宮澤喜一といった池田陣営自らが低姿勢の政策を打ち出した[100]。高姿勢だった池田が総理大臣に就任すると「寛容と忍耐」の低姿勢に変貌したことに世間は驚いた[101]。
出典[編集]
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- ^ 当選同期には安倍晋三、江崎鉄磨、熊代昭彦、塩崎恭久、高市早苗、田中真紀子、野田聖子、浜田靖一らがいる
- ^ 『岸田ビジョン』: 第六章 闘う宏池会
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関連文献[編集]
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- 大下英治『大宏池会の逆襲 保守本流の名門派閥』角川新書、2018年1月10日。ISBN 978-4040821825。
- 中島岳志『自民党 価値とリスクのマトリクス』スタンド・ブックス、2019年5月30日。ISBN 978-4909048059。
外部リンク[編集]
- 岸田文雄ホームページ - 公式サイト
- 岸田文雄 (@kishida230) - Twitter
- 岸田文雄 政治家 - Facebook
- 岸田文雄 (fumio_kishida) - Instagram
- 岸田文雄 - YouTubeチャンネル
- 宏池会ホームページ-公式サイト
公職 | ||
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先代: 玄葉光一郎 | ![]() 第148・149代:2012年 - 2017年 | 次代: 河野太郎 |
先代: 稲田朋美 | ![]() 第16代:2017年 | 次代: 小野寺五典 |
先代: 高市早苗 | ![]() 第9・10代:2007年 - 2008年 | 次代: 林幹雄 |
先代: 高市早苗 | ![]() 第10・11代:2007年 - 2008年 | 次代: 野田聖子 |
先代: 渡辺喜美 | ![]() 第10・11代:2007年 - 2008年 | 次代: 与謝野馨 |
先代: 創設 | ![]() 初・第2代:2007年 - 2008年 | 次代: 廃止 |
先代: 創設 | ![]() 初代:2007年 | 次代: 廃止 |
先代: 大野功統 河村建夫 | ![]() 青山丘と共同 2001年 - 2002年 | 次代: 河村建夫 渡海紀三朗 |
議会 | ||
先代: 鴨下一郎 | ![]() 2006年 | 次代: 桜田義孝 |
党職 | ||
先代: 茂木敏充 | 自由民主党政務調査会長 第58代:2017年 - 2020年 | 次代: 下村博文 |
先代: 逢沢一郎 | 自由民主党国会対策委員長 第52代:2011年 - 2012年 | 次代: 浜田靖一 |
先代: 古賀誠 | 宏池会会長 第8代:2012年 - | 次代: 現職 |
先代: 安倍晋三 | 自由民主党青年局長 第32代:1997年 - 1998年 | 次代: 小此木八郎 |
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