ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相
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長堀 優さんは西本真司さん、他2人と大崎ブライトコアホールにいます。
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手術は困難なものほど遣り甲斐があって、人ができない手術をやって元気を出さないといけない。簡単なことは誰でもできるから高揚感はない。外科医が花形であるのは、利益を顧みずリスクをとるからだ。楽で金が儲かる仕事はあるが、そういう仕事での精神性は貧しく、神への祈りもない。 (1)四角い部屋を丸く掃いてはいけない 長谷川博先生が1976年の日本外科学会で肝静脈沿いに肝実質を離断する手技を発表されたが、これが非常に印象的だった。その長谷川先生に「一緒に手術しないか!」と誘われ、国立がんセンターに移り肝臓外科を始めることになった。当時、肝臓への流入血を遮断すると患者は死ぬと考えられており、無遮断のままで行っていた肝臓手術ではおびただしい出血があった。そこで、門脈流域がうっ血しないように肝臓の片側だけを間欠的に遮断したところ、出血量が半分に減った。 それまでは、東京大学で術中超音波を使って胆管の同定やLongmire手術などを行っていた(図1)。ちょうどそのころα-fetoproteinの検査が始まり、小さい肝癌の症例で開腹して検索するも術中に腫瘍が見つからないことも多かった。がんセンターに移ってから、本格的に術中超音波を導入し、その過程で発見した門脈腫瘍栓や肝内転移などの概念を発表した。また、三次元で腫瘍と脈管との関係が明確になり、系統的亜区域切除術や右下肝静脈温存手術などの新しい術式を考案した。
われわれ外科医は、消化管の癌に対して根治性向上のためリンパ節郭清に血道を上げてきた。肝細胞癌は経門脈的に肝内転移するので、ラジオ波焼灼療法では肝内転移の処理ができない。肝右葉には肝外から認識できる区域間のランドマークがないので、担癌区域をどこまでとるのかという根源的な問題については、染色法などを駆使した領域同定が不可欠である。このように明確な肝臓解剖に基づいた、肝癌の主病変およびその二次病変を包括的に切除する姿勢がきわめて重要である。つまり、『四角い部屋を丸く掃くような切除法』では掃き損なった隅に癌が残ってしまう。また、癌根治性と機能温存との両立については、肝臓外科医が他の領域の医者より一番古くから多くのことを考え、そして克服してきた。肝機能温存だけでなく肝癌根治性も損なってはいけない。いろいろな工夫をこらしてより根治的な手術を追求することが、外科医の生きる道である。 (2)夜を昼にして頑張らねばならない 42歳の時に信州大学に移ったが、小さい肝細胞癌の切除に限界を感じ、肝移植を始めたいと考えていた。肝移植の臨床応用に向けて、論文の勉強や動物実験を行っていた。ちょうどその頃、1989年11月に島根医大の永末直文先生が日本で始めての生体肝移植を実施された。人に先を越されると、野心家はがっかりする。手術も論文も本質は同じで『夜を昼にして頑張らねばならない』、早くしないと他人が先にしてしまう。1990年に生体肝移植を始めるにあたって、「助けてもらえる人にはすべて来てもらう」が基本方針であったが、ドナーの手術は当時国立がんセンターに勤務していた高山忠利君に来て執刀してもらった。1993年には成人レシピエントへの生体肝移植を世界で初めて成功させ、肝移植の臨床現場に画期的なインパクトを与えた。以下に、肝移植での代表的な業績を列記する、 (図2)生体肝移植における肝静脈再建 A=肝静脈Y字再建、B=肝静脈の再建基準、C=Double IVC法 1. 「肝再生制御機序の解明」(Kawasaki S et al. Lancet 1992; 339: 580-1.) 2. 「世界初の成人生体肝移植」(Hashikura Y et al. Lancet 1994; 343: 1233-4.) 3. 「肝静脈Y字再建法」(Takayama T et al. J Am Coll Surg 1994; 179: 226-9.) 4. 「標準肝容積推定式の作成」(Urata K et al. Hepatology 1995; 21: 1317-21.) 5. 「尾状葉加左葉グラフト」(Takayama T et al. J Am Coll Surg 2000; 190: 635-8.) 6. 「生体ドナーへのPringle法」(Imamura H et al. Lancet� 2002; 360: 2049-50.) 7. 「右外側領域グラフト」(Sugawara Y et al. Transplantation 2002; 73: 111-4.) 8. 「肝静脈の再建基準」(Sano K et al. Ann Surg 2002; 236: 241-7.) 9. 「凍結保存ホモグラフトの導入」(Sugawara Y et al. Liver Transpl 2003; 9: 306-9. ) 10. 「Double IVC法」(Sugawara Y et al. Liver Transpl 2003; 9: 306-9.) (3)手術に言葉はいらない心で会話する 外国でも数多くの肝臓手術を行ってきた(30カ国、42手術)。言葉が通じなくて困らないか?とよく聞かれるが、『手術に言葉はいらない心で会話する』からだ。ただし、手術で使う道具名(鋏、鉗子、糸、など)は現地語で知っておいた方がいいし、道具は手持で使い慣れたものを持参した方がいい。1992年に世界最古のBologna大学で肝癌の手術を2件施行したが、その時は高山君に前立ちをしてもらった。
手術法を選択するには知識が豊富なacademic surgeonでなければならない。理論的に死亡の無い手術を選択しないといけない。「うまくいけばもうけもの」といった手術は手術でなくギャンブルだ、「絶対に大丈夫だと思っても人は死ぬ」からだ。私は膵管二期再建や門脈塞栓を実践しているが、これは手術死亡を実質的に0%にするためだ。この方針を過大対応と非難するむきもあるが、それが過大か適切かの判断は患者自身のものだ。同時に、新しい手術を開発するには、まず旧来の手術を良く知っており、他科の手術も良く知っいて、いつも手術のことを考えている「専門バカ」にならないといけない。 手術を上手に行う上で必要な7原則を列記する。 1. 糸がきっちり素早く縛れること。 2. 消毒から布をかけて、手術本体を完成し、最後ドレーンをつないで糸で縛る。これらが頭の中でちゃんと画面で出てくること。 3. いろいろな臓器の立体構造がよく理解できていること。 4. 術前・術後管理が抜け目なくきちっと出来ること。 5. 癌の手術とはなんぞやという根本をよく理解できていること。 (4)Cushingのacademic surgeon7原則 なぜ論文を書かねばならないのか?医師の道を選択した以上論文を書くことは責務であり、この作業を通じて自己の問題点を見つめ直すことで新しい知見を生み、最終的には患者利益に資する必要がある。論文は絶対的に英文でなければいけない!いい知見を少しでも多くの患者に広げるためだ。 英文論文の構成を一言で述べれば、Introduction は問題提起、Materials and Methodsは自分の手術内容、Resultsはその手術成績、Discussionは他人との手術成績の比較である。このようなレビューはどのような臨床現場でも必須であり、論文を書く作業は臨床医の最低限のモラルなのだ。state of the artで世界や日本の現状を知ることは、臨床医がICを取るとき、手術適応の決定、手術法の選択などに必須である。これを通じて、患者が医者および医療施設を選択する権利を保障しなければならない。 非常に良い手術を考案したら、世界中の患者がその恩恵に浴するべきであって、その成果を英文論文に書かないのは不作為であって、医師として道徳的犯罪に相当する。 さらに、『Cushingによるacademic surgeonの7原則』を引用して若手外科医の参考に供したい。 1.He must be a researcher. 2.He must be able to inoculate others with the spirit for research. 3.He must be a tried teacher. 4.He must be a capable administrator of his large staff and department.� 5.He must, of course, be a good surgeon. 6.He must be co-operative.� 7.He must have high ideals, social standing, and agreeable wife. おわりに
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「当たり前」を積み重ねる日々日本赤十字社医療センター院長 「世界の幕内」と呼ばれて久しい。東京大学卒業後、一貫して肝臓外科を専門とし、肝切除術の分野では国内はもとより、世界的にもその業績は広く認められている。肝切除の術中に用いる超音波診断機の開発、肝臓の系統的区域切除術の開発、常にクリエイティブな発想で独自の道を切り拓いてきた。「目の前の患者さんのために、やれることをやってきただけ」。振り返ってみれば30数年、2000人近くの命をつないできた。2007年、日本赤十字社医療センター院長に就任。これまでとは違った視点を要求される院長職をこなしながら、臨床を束ねる日々について、近況を伺った。 手術が始まったら、祈りながら終えるだけ 院長を兼ねながら、現在、手術数は週に4~5例、東大の外科時代、年に300例をこなしていたころとは比べものにならないが、相当の激務である。 外科医も院長も、医療にかかわるものとして本質は同じ 幕内家は、父親も外科医。そして、男三兄弟すべてが外科医の道を選んでいる。今思えば「無理強いされた覚えはありませんが、いろいろ自然にしむけられてたのかな。その意味では、まんまとおやじの術中にはまったのかもしれませんね」。幕内先生によれば、「学校の成績は、兄弟では僕がいちばん出来が悪かった」という。しかし、手先は器用、絵を描くこともうまく、図画・工作は大好き。「外科医としての資質には大切だったと思いますよ(笑)」 1946年8月生まれ。東京大学医学部卒業。国立がんセンター手術部長、信州大学医学部教授、東京大学大学院医学系研究科教授などを経て、07年4月より日本赤十字社医療センター院長。信州大学時代に国内3例目の生体肝移植を行い、成人生体肝移植に世界で初めて成功。以降、生体肝移植の症例数は500を超えている。肝臓を血管の支配領域ごとに8つの区域に分け、最小限の部分だけを切除する「系統的区域切除術」を開発。また、肝臓外科に超音波診断を導入したパイオニアでもある。 |
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