太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。

 


札幌農学校には、次々と多様なアメリカ産野菜の栽培品種が持ち込まれ、数々の成果を収めた。北海道はこれを機に大規模な西洋野菜の作付を行い、欧米野菜の大衆化に貢献した。日本のカレーライス普及には、ホーレス・ケプロンのほうが、より貢献しているという説もある[30]

軍隊・自衛隊[編集]

海自掃海母艦うらが」の給食[注 5]

前述の通り、明治5年(ほぼ1872年)に「西洋料理指南」と「西洋料理通」にカレーライスのレシピが紹介されているが、翌年の1873年(明治6年)には、早くも大日本帝国陸軍将校生徒を養成する陸軍幼年学校において、土曜日の昼食に「ライスカレー」が導入されている[10]。1908年(明治41年)には大日本帝国海軍においてもイギリス式のカレーが採用された[1][31]。また1910年(明治43年)には、陸軍においても陸軍将兵全般が、日常の軍隊生活で食す「兵食」として「カレー、ライス(カレー汁掛飯)」が採用された。徴兵期間を終えて除隊した兵士達が、軍隊生活で慣れ親しんだカレーライスを郷里の家庭などで作ったことも、カレーライスが広まることに大きく寄与した[1][31][32]

海軍割烹術参考書[注 6]のレシピによると、海軍の「カレイライス」はヘットで狐色に煎った小麦粉にカレー粉を加え「スープニテ薄トロノ如ク」溶くと書かれているのに対し[33]、陸軍の「カレー、ライス」(『軍隊料理法(明治43年)』[注 7])には出汁についての記載はない。『軍隊料理法』をもとに昭和期に改訂された『軍隊調理法(昭和12年)』では、第2章調理法24項のカレー汁の備考に「ア、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる」との記述があり、カレーを汁物として記載している。

海軍では、土曜日の昼食はカレーライスと決められていた[1][32]。これは海上自衛隊にも引き継がれ[1][32]た。巷間、交代勤務となる長期航海中に曜日感覚を取り戻すためだと言われている[34]が、これは誤りである(海軍カレー#誤り3:金曜のカレーは曜日を忘れないようにするため[35]。週休2日制となってからは、金曜日に変更されているが、全ての部署でカレーライスを食べ[1][32]、行事の際に来賓に振舞ったり、防衛省公式サイトなどを通じて一般へのレシピ公開を行ったり、かつて軍港のあった町の名前を冠した「海軍カレー」がレトルト食品缶詰製品を発売している。

陸上自衛隊でも、各部隊ごとに独自のレシピ[注 8]によるカレーライスがあり[注 9]、催事などでは一般の見学者に振舞われている[注 10]

第二次世界大戦後、アメリカ空軍に倣いながらも、旧陸海軍航空部隊(陸軍航空部隊海軍航空部隊)の元将兵らによって創設された航空自衛隊にも同様のカレーがあり、基地の食堂毎にアレンジしたカレーがある。神奈川県横須賀市の海軍カレーは今も[いつ?]名物である。

学校給食[編集]

第二次世界大戦後には、学校給食のメニューにもカレーライスが全国的に採用されるようになった。カレーライスが学校給食のメニューに登場したきっかけは、食糧事情の悪かった終戦直後の1948年(昭和23年)、連合国中では日本の友好国だったインドから大量にスパイスの提供を受けたこと[36]エスビー食品創業者の山崎峯次郎などカレー業界関係者が需要拡大のため尽力した[37]ことが関係している。

ただし米飯給食が開始された1976年以前には、カレーライスとしてではなく、カレーシチュー[注 11]としてうどん玉(地域によってはソフト麺)やコッペパンとの組み合わせで出されることが多かった。

カレーシチューはカレーと比較すると、特に初期においては粘度が低い点[38]クリームシチュー同様牛乳脱脂粉乳など乳成分が大量に使用され白みがかっている点が特徴となっている。粘度が低かった理由としては、コッペパンやソフト麺との親和性が高かったこと、原材料の不足により、濃度を薄くせざるを得なかったことなどが理由であるとされている[37]。昭和35年頃、ラジオの民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが、一般家庭で多く作られるようになった[20]

年表[編集]

  • 1860年万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。
  • 1864年文久4年)、江戸幕府横浜鎖港談判使節団の岩松太郎が、船中でアラビア人が食事する様子を見て「飯の上へトウガラシ細味に致し、芋のどろどろのような物を掛け、これを手にてまぜ手にて食す。至って汚き人物の者なり」と日誌に記している。
  • 1872年明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。また、同年にカレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版された。
  • 1873年(明治6年)、陸軍幼年学校の生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる[10]
  • 1876年(明治9年)、当時札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。
  • 1877年(明治10年)、東京の「米津凮月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。
  • 1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスをラドヤード・キップリングが新聞「The Pioneer.」誌上で絶賛する[39]
  • 1905年(明治38年)、大阪の薬種問屋「大和屋」(現・ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。
  • 1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。
  • 1908年(明治41年)、海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載る[40]海軍カレーの起こり。
  • 1910年(明治43年)、陸軍が配布した『軍隊料理法』に、「カレー、ライス」のレシピが載る[41]
  • 1924年大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」(現在の聚楽)が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。当時の大卒初任給70円、日雇労働者日当1円63銭。
  • 1926年(大正15年)、大阪の稲田食品製造所(現在のハウス食品)が、カレールウ「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。
  • 1927年昭和2年)、東京の「新宿中村屋」「資生堂パーラー」が、高級カレーライス(80銭、50銭)をメニューに載せる。
  • 1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(25銭)でライスカレーを販売。
  • 1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル (C&B) 社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、偽造したC&B社の缶に中身を国産品に詰め替えたり、本物のC&B社の缶に増量材を入れた安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。しかし国産品のカレー粉に中身を入れ替えた偽物でも、コピーの達成度が高かった為に本家C&B社の物と味に変わりが無く気がつく人が殆ど無かったことから、これを機に国産のカレー粉が一気に普及した。
  • 1932年(昭和7年)、東京・田端の山田商会が、即席カレールーを発売し製法特許を申請。
  • 1935年(昭和10年)、東京・大塚足立[要曖昧さ回避]など多数の店が「(南蛮)カレー粉」を発売。当時は、きそば屋の南蛮カレーが主流であったため。
  • 1936年(昭和11年)、「東京都ソース・カレー製造業協会」を結成。
  • 1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、第二次世界大戦太平洋戦争)による食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止された。
  • 1945年(昭和20年)11月、名古屋オリエンタルが、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーである「オリエンタル即席カレー」を完成させた。
  • 1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。
  • 1949年(昭和24年)、浦上商店がカレールウ「即席ハウスカレー」の製造を再開。
  • 1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレールウ分野に進出。
  • 1960年(昭和35年)、ハウス食品工業株式会社(旧浦上商店)がカレールウ「ハウス印度カレー」を発売。以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチカレーを発売。同年、ラジオの民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが一般家庭で作られるようになる。その結果カレーの生産と消費が急激に増加する[20]
  • 1963年(昭和38年)、ハウス食品工業が「子供も大人も一緒に美味しく食べられるカレー」をコンセプトにした、甘口(後に、辛口と中辛も発売された)のカレールウ「バーモントカレー」を発売。
  • 1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。
  • 1972年(昭和47年)、エスビー食品「ゴールデンカレー」が3種類(甘口、中辛、辛口)の辛さを表記[42]
  • 1978年(昭和53年)、「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店オープン[43]
  • 1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日を「カレーの日」と決め、全国の小中学校で一斉に「カレー給食」を出す[26][44]。しかし既に献立が決まっていた学校が多く、実施率は2割に止まった[44]。当初は戦後に給食が復活した12月24日が検討されていたが土日、冬休みと被るため1か月ずらした1月24日を中心とした一週間を学校給食記念週間、22日を統一献立日にした[44]。カレーライスになったのは協議会の調査で全都道府県で一番人気で材料がどこでも入手でき、調理もしやすいためだった[44]。以後この日が、「カレーの日」とされている。
  • 1986年(昭和61年)、激辛ブームを受けて江崎グリコが激辛カレー「LEE」を発売し、「辛さ×○倍」という表記を採用[注 12]

作り方と食べ方[編集]

作り方と材料[編集]

カレーライスが家庭料理として普及しはじめた大正時代には、小麦粉とカレー粉をバター等で炒めてカレールウを作り、これをかつおだしなどで伸ばしてカレーソースを作っていた[46]現在では[いつ?]、湯で溶かすだけでカレーソースが作れるインスタント・カレールウ製品が普及している。カレーソースはターメリック(ウコン)に由来する「黄」が本来の色であるが、時代を下るとともに色が濃くなる傾向が指摘されている[47]。その理由として、黒くて激辛の「カシミールカレー」で有名な東京上野のカレー店デリー[注 13]や、フォン・ド・ヴォーグレイビーソースを使う「欧風」カレー店の影響が考えられる[独自研究?]現在では[いつ?]、着色料としてカラメルイカ墨黒ゴマココアなどが積極的に利用されている。白色、緑色、青色を売りにするカレーも登場している。

NHKの番組が、プロが用いる隠し味トップ3として、1位オイスターソース、2位ココア、3位生クリームと伝えたことがある[48]

日本のカレーの具にはジャガイモ[注 14]ニンジンタマネギ[11]が使われている。これらが定着したのは明治時代の終わり頃である[10]。タマネギが使われ始めたのは明治20年以降であり[15]、それ以前はタマネギの代わりに長葱が使われていた[10]。野菜は具材として煮込む以外にも、素揚げやふかすなどした温野菜として添える場合もある。昭和期には、グリーンピースを飾りとして散らすことがよく行なわれていた。

日本でカレーの具によく使われる肉は、豚肉牛肉鶏肉である[50][51][52]。NTTドコモ「みんなの声」にて投票を実施した2012年調査では『1位:豚肉、2位:牛肉、3位:鶏肉、4位:野菜のみ、5位:シーフード』[50]であり、ドゥハウスの2010年アンケートでも『豚肉42%、牛肉35%、鶏肉25%の割合順で好まれる』[51]という結果が発表されている。地域・年齢・性別による違いがあり[53]、50歳以上(とくに男性)は牛肉を好む傾向があるという[52]1960年代高度経済成長以降、肉の塊をたっぷり入れたカレーライスも珍しくなくなっている。

これ以外にも様々な具を使用したカレーがある(バリエーション、ご当地カレーを参照)。日本ではカレーの辛味の度合いに応じて「辛口」「中辛」「甘口」などの区分があるカレールウやレトルトカレーも存在する。ただし辛味の度合いは日本国内で統一された基準は存在せず、メーカー各社の区分けになっている。

ライス

日本においては伝統的な嗜好からジャポニカ米が用いられるのが一般的である。インドや東南アジアヨーロッパでは、粘り気がなくパラパラとした食感のインディカ米が使用される。日本では1993年米騒動の際に、タイ王国からインディカ米が緊急輸入されたものの、ジャポニカ米との風味の違いにより日本人に忌避された。やがて南国風のカレーと相性が良いことが知られるようになった。香り米の一種として知られるジャスミンライスや、サフランで香り付けしたインディカ米を使うアジア料理店も増え、日本人にも支持層が広がってきている。

付け合せ

日本のカレーにおける付け合せは、福神漬ラッキョウ漬けを使用する事が一般的である。店によっては紅しょうがピクルスレーズンナッツ、あるいはチャツネオニオンスライスアチャールなどを添えることもある。最初に福神漬を添えることを考案したのは、日本郵船のヨーロッパ航路船でコックを務めていた「タキサダ・サダイチ」とされている。また、それらの付け合せ以外に、サラダをカレーの副食として食べることも多い。飲み物は辛さを和らげる牛乳ラッシーなど、あるいはが添えられる。

派生メニュー
  • カツカレー - カツレツをトッピングしたカレーライス。ポーク、チキン、ビーフなどのバリエーションがある。
  • カレー丼 - 和風出汁にカレー粉と片栗粉を混ぜてカレー味の餡を作り、米飯に掛けた料理。似た料理にカレー南蛮(カレー蕎麦)がある。
  • ドライカレー - カレー風味の炒飯。または挽肉を使った汁気の少ないカレーソースを米飯に乗せたもの。
  • カレーピラフ - カレー風味の炊き込みご飯。インドにもプラオビリヤニと呼ばれる同種の料理がある。
  • カレーシチュー - 学校給食において出されるカレー。#学校給食節を参照。
  • あいがけカレー - 米飯にカレーとハヤシソース、あるいはカレーと牛丼の具という風に、カレーとそれ以外のソース(具や汁)を掛けたもの。あいがけ神代カレーなど。米飯を「天橋立」に見立てる場合がある(あいがけではない際には「ダム」に見立てる)。
  • 石焼きカレー - 石焼きピビンパのように、石鍋で焼いた米飯にカレーをかけたもの。
  • マーボーカレー - 麻婆豆腐とカレーを混ぜたソースを米飯に乗せたもの。レトルト食品が販売されている。
  • スープカレー - スープ状のサラサラしたカレーで、札幌市2000年代にブームになった。
  • スパイスカレー - カスリメティを大量に振りかけるなど、スパイスやハーブのざらざらした食感と多くは小麦粉の少なさから独特の刺激とさらっとして食感が特徴で、大阪市2010年代後半からブームになり、以降全国的にも注目される。

食べ方[編集]

日本では、カレーが米飯の上部かつ横にかけられ皿に盛られた状態と、ソース・ボート (Sauce boat) またはグレイビーボート (Gravy boat) と呼ばれる金属の容器に、カレーソースが分けられた状態のどちらかで供されることが多い。後者の場合はソースボートの容器からカレーを米飯にかけて食す。容器の名称は、日本では「ソースポット」「グレイビーポット」という表記も見られる。

カレーライスを食する際、スプーンに米飯とカレーを乗せるのみで混ぜない食べ方と、あらかじめカレーと米飯を混ぜる食べ方とがある。インドスリランカなどの南アジアでは、混ぜて手で掴んで食べるのが作法であり、また日本でもカレー粉を用いて作る「黄色いカレー」の時代には、ウスターソースをかけた上でよく混ぜる食べ方がスタンダードであったが、近年の日本[いつの日本?]では前者が多数派であるとされ、混ぜた上での食べ方を「汚い」と断ずることで、しばしば後者との対立が引き起こされる。生卵を割り入れたり、ソース以外にも醤油マヨネーズなどの調味料をかけて食べる向きもあり、食べ方は多岐に渡る[54][55]。このため、食べ方が話題になったり、議論が発生したり[54]、性格判断の要素に用いられたりする[55]

八ツ場ダム群馬県)や黒部ダム富山県)の近くにある観光施設では、トンネル工事の従事者が飯に汁をかけることを、崩落や落盤を連想させて縁起が悪いと嫌ったことから、カレーを米飯にかけず、スプーンに乗せた米飯をカレーに浸して食べるようテーブルマナーとして要請する場合がある。

一晩寝かせたカレー[編集]

一晩寝かせたカレーはうまいとの説が巷間に広まっており、家庭において残り物のカレーを鍋ごと常温で放置する例が見られる。確かに具材の旨みがカレーソースに溶け出すことや、日本人の苦手な刺激臭が和らぐことなどの効果は認められる。

だが、その一方で常温で急速に細菌が繁殖し、特に100度以上の高温でも芽胞として生存するウェルシュ菌の増殖を促進することになる。ウェルシュ菌は最速で10分に1回増殖し、菌数は倍々で増えて行くため、調理後、常温で半日(5時間 - 12時間)以上経過すると、食中毒が発生する可能性が高くなる。さらに、インドカレーの大きな特徴である、スパイスの香りの大部分が揮発してしまうため、調理後はなるべく早く食し、残ったものも小分けして冷蔵庫で保管すべきである[56]

一晩ねかせたカレーが美味であるのは、具材、ブイヨン、スパイスのそれぞれについて理由があるとするメーカーもある[57]

カレーライスとライスカレー[編集]

ソースボートでの提供

カレーライスは、「ライスカレー」と呼ばれる事もある。2つはどう違うのか、また「カレーライス」との名称が主流となっていった理由については諸説があり定かではない。

  • 両者は元来異なるものを指すとみる説
    • 米飯とカレーソースが別々に、あるいは横長の深皿で左右に寄せて出されるハイカライメージのものがカレーライス、ご飯の上にカレーをかけた大衆的なものがライスカレー[58]
    • 和風のだしを用いたものがライスカレー、洋風のスープを用いたものがカレーライス。
    • 黄色みの強いものがライスカレー、茶色っぽいものがカレーライス。
    • とろみの強いものがライスカレー、さらっとしたものがカレーライス(逆の意見もある)。
    • 「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」(「ククレカレー」発売当時テレビで流されていたCMのコピー)。
    • 「高粘度のカレーソース」「福神漬とラッキョウが添えられている」「水の入ったコップにスプーンが入っている」「ニンジンとジャガイモは大きめ、グリーンピースが三つ」「冷えるとカレーソースに膜が張る」と「ライスカレーを定義している」(テレビドラマ『ライスカレー』)
  • 両者はもとより同じものを指すとみる説
    • コメを主食とする日本人の感覚から「ライス」を強調する意味で前に出したものである[59]

歴史的に見ると、イギリス人から「カリードライス(英語Curried rice)」として紹介され、明治後期から大正時代にかけて新聞や雑誌では「ライスカレー」と呼ばれる事が多かった[58][59]。1872年、北海道開拓使の公文書で「タイスカリイ」(ライスカレー)という語が、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録で「カレーライス」という語が使われており、日本では当初から2つの言葉が使われていたことが分かっている。

戦前の軍隊の場合、陸軍において明治期編纂(明治43年制定)の『軍隊料理法』では「カレー、ライス」と、昭和期編纂の『軍隊調理法』では「ライスカレー(「備考 イ、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる。」)、海軍において『海軍割烹術参考書』では「カレイライス」と称されていた。昭和期の一般市民の間では出身者が圧倒的に多い陸軍式の「ライスカレー」という名称が優勢であった。同じデパートの中で、別の食堂がライスカレーとカレーライスをメニューに載せていた例も存在した。『阪急百貨店二十五年史』によれば、1959年(昭和34年)のメニューにおいて、大食堂のライスカレーが70円、グリルではカレーライスが100円で供されている。

敗戦後の高度経済成長期を迎えると共にカレーライスという呼び名が台頭してきた。高度成長期の昭和30年代以降に家庭用の固形ルウが市販されるようになった頃から、広告宣伝やマスコミなどの影響により「カレーライス」という名称が浸透していったと推定される。時期的には1964年東京オリンピック開催の前辺りから「カレーライス」呼称が優勢になったとされる[58][59]

インスタントカレー[編集]

国民食とも言えるカレーライスは、さまざまな方式でインスタント食品化されて人気を得ている。

インスタント・カレールウ
総務省家計調査(平成20 - 22年平均)によると、カレールウの年間消費金額は新潟市で1800円程、年間消費量は佐賀市の2100g程となっている。2004年(平成16年)度の「カレールウ」の国内出荷額は約676億円で、各社のシェアはハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約10%と推計されており(日本経済新聞社)、ほぼ大手3社による寡占市場となっている。固形タイプ以外にも、フレーク状のものや顆粒状の製品もある。
レトルトカレー
調理されたカレーをパッケージした製品で[60]、日本で広く消費される商品であり[61][62]宇宙食としても採用されている[62]。2011年の東日本大震災を機に非常食としても広く認知されるようになり、2017年にはカレールウの購入額をも上回った[63]。ご当地もの、名店の監修もの、などその種類も多岐にわたる。

他にも缶詰の製品やフリーズドライ(凍結乾燥)による携帯用カレーなどが支持されている。

外食[編集]

カレーライスは外食店の定番メニューともなっている。京王電鉄沿線では、JRにおける立ち食い蕎麦店の位置をカレーライス専門店のカレーショップC&Cが占めているほどである。チェーン店は、カレーハウスCoCo壱番屋カレーの王様など多数あり、ゴーゴーカレーなどは松井秀喜選手との関係で海外でニュースになることもある。 2013年(平成25年)には、「カレーハウスCoCo壱番屋」が「世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店」として、ギネス世界記録に認定されている[64]

日本各地のカレーライス[編集]

ご当地カレー[編集]

みなかみダムカレー(アーチ式ダム[65]

1990年代後半頃から町おこしを目的として、日本の各地方の特産物を使用したカレーが続々と発売されており、それらは「ご当地カレー」と呼ばれる。カレーは比較的安価で馴染みやすく、地元の特産品のアピールにも観光名所のアピールにも使えるため、地域PRの素材として全国各地に普及している[66]。地名を入れて名づけた製品も多い。

地方によっては、昭和時代初期頃から地元に豊富に存在する食材(北海道 - タコ福島県 - ホッキ貝熊本県 - 馬肉など)を利用したカレーが食べられており[3]、その流れを汲む製品もあるが、町おこしブームに乗って新たに作り上げられた名物も多い。

沖縄県[編集]

沖縄県のカレーライス

戦後27年間米軍統治下にあった沖縄県では、日本本土とは異なり戦前のレシピに基づくカレー粉から作るルーを使用した「黄色いカレー」が今も現役である[67]。調理法は作りおきではなく、注文が入ってから野菜と肉を炒め、そこにスープや和風だしを加えて少しだけ煮込み、小麦粉とカレー粉を炒って作ったルーを溶かし入れるというスタイルが多い。また定番の野菜として、たまねぎ、にんじん、じゃがいもの他にピーマンが入るのが大きな特徴である。

行事[編集]

日比谷公園にある松本楼が「10円カレーチャリティ」と銘打って、毎年9月25日にチャリティーとして10円のカレーライスを供している。1971年(昭和46年)11月19日、いわゆる「日比谷暴動闘争」で中核派の投げた火炎瓶によって全焼したが、これを1973年(昭和48年)9月25日に再建したことに対する記念行事である。「10円カレー」は秋の季語にもなっている。

各国のカレーライス[編集]

インド・パキスタン[編集]

イギリス領インド帝国は、第二次世界大戦後の1947年に、インドとパキスタン分かれて独立した。インドには菜食主義者が多く、などの野菜を使ったカレーソースが主流である。またインドに多いヒンドゥー教では牛肉が、パキスタンに多いイスラム教徒では豚肉が禁忌になっているため、鶏肉・羊肉山羊肉が使用される。使用するスパイスは多岐を極め、一般家庭でも日本では入手困難なものまでを独自に配合する。一般にインド南部、スリランカでは小麦粉の使用が少なく、近年このことを意識したレトルトやレストランも注目されている。

イギリス[編集]

チキンティッカマサラ

インドを植民地としていたイギリスは欧米で最も古くからカレーに親しんだ国であり[68]、 パブクラブハウス[要曖昧さ回避]学生食堂などにはカレー&ライス (curry and rice) というメニューが伝統的に存在する。 カレーの種類もクラシックなパブスタイルから移民たちの作る本格的なもの、イギリス人の味覚に合わせた新作料理まで多岐にわたる[69]。 中でも1960年代に誕生したチキンティッカマサラ国民食とまで言われるほど広く支持されており、近年では[いつ?]日本を含む国外のインド料理店のメニューとしても一般的となっている。

中国[編集]

「咖哩」(カーリー)もしくは「珈竰」(発音同じ)と表記される。中華料理の咖哩飯は、カレー味の中華丼と考えれば理解しやすい。中国ではホテルのレストランなどで洋風、インド風のカレーが提供されるほか、日本料理レストランや日式拉面店(日本式ラーメンの店)では日本のカレーが出される。日本風のカレーライスは一般の中国人にはあまりなじみのない料理だったが、カレーハウスCoCo壱番屋などの進出により徐々に広まりつつある。

香港[編集]

香港のカレーライス

イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを出す店が少なくない。その場合、日本のものよりもとろみが少ない、ココナッツの風味を加えた品を出す店が多く、カレーと白飯が別容器で出ることもよく見られる。また、香港ではたびたび日本食ブームが発生しており、日本式のカレーライスも広がっている。一方でインドなど南アジア系の住民が多いため、本場の味を継承する店舗も多々見られる。

台湾[編集]

台湾には日本統治時代にカレーライスが持ち込まれ、「日式咖哩飯」(リーシーカーリーファン)という名前で、今でも[いつ?]屋台や食堂で気軽に食べることができる。片栗粉でとろみをつけた、具の少ない日本統治時代のカレーライスに近いものである。近年は[いつ?]ココイチが進出しており、日本のカレールーも浸透してきた。

韓国[編集]

韓国のカレーライス

朝鮮半島にも日本統治時代にカレーライスが伝えられ、現地の言葉で「カレバップ(카레밥、カレー飯)」と呼ばれている。韓国のカレーは戦前の日本と同じようにカレー粉と小麦粉のルーから作られる黄色みの強いもので、概して汁気が多く甘口である。

ビビンバなどと同様に、米飯とカレーをよく混ぜ合わせてから食べる。付け合せにはキムチやタクァン(沢庵漬け近年では[いつ?]固有語式にタンムジと呼称)が用いられ、外食店では日本風の味噌汁かつおだしのスープが付くことも多い。日本にカレーライスの類似料理としてハヤシライスがあるように、韓国にはカレバップに並ぶ料理としてチャジャンバップ(チャジャン飯)がある。レトルト食品もカレーソースとチャジャンソースの比重がほぼ同等である。

平成以降は日本の大手チェーン店も出店し人気となっている[70]

北朝鮮[編集]

北朝鮮にもカレーライスは伝わっており、韓国と同じく戦前の日本統治時代に持ち込まれた。現在では[いつ?]家庭料理としても定着している。平壌のデパートでは日本製のカレールウが販売されている。

ハワイ[編集]

明治初期から日本人移民の多いハワイでは、日本料理店だけでなく、大衆レストランや伝統的なハワイ料理店のメニューにもカレーライスが載っていることが多い[独自研究?]。日本の明治・大正期的な黄色いカレーが主流であるが、近年は[いつ?]カレーハウスCoCo壱番屋の進出や、タイベトナムなどからの移民の増加により、さまざまなバリエーションのカレーが食べられるようになっている。

作品[編集]

楽曲[編集]

漫画[編集]

絵本[編集]

小説[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

ゲーム[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 一般的に「今夜はカレー!」など。ご当地カレーも単にカレー。
  2. ^ 傍系の「せんば自由軒」は「インデアンカレー」と呼んでいるが、「自由軒」側は同店を「無関係」として扱っている[23]
  3. ^ 原因として「当時はご飯を保温できる機械がなく、お客様に熱々のカレーをお出しすることができませんでした」との説明があった。
  4. ^ インド独立運動家として知られていたラース・ビハーリー・ボースがレシピを考案したもので、当時「恋と革命の味」と宣伝された。
  5. ^ 海軍割烹術参考書』の該当箇所が、ランチョンマットの左半分に印刷されているのが見て取れる。
  6. ^ 「初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘッド」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ンド煮エタルヲ入ル可シ)弱火ニ掛け煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之ヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ塩ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス」。
  7. ^ p117「其の九 カレー、ライス(カレー汁掛飯) 鍋に少量のヘットまたはラードを入れ、その中にできるだけ細かに刻みたるタマネギとカレー粉とを適宜に入れてよく焚き、これにメリケン粉と賽の目形に切りたる肉とを混ぜ、湯をつぎ塩を加え、またわずかの酢を入れ、1時間ほど煮るなり。これを飯に注けて用いるなり。飯はなるべく硬めに炊くを可とす。(注意)カレーの中に金物を長く浸け置くときは毒あり。またこの料理は毎日用いるはよろしからず。1週間に1,2度を適度とす」。原文縦書き。平仮名、新字体等に変更、句読点を補った。原文は下記出典を参照。
  8. ^ カレーのスープに豚骨鶏ガラ・各種野菜等をベースにした出汁を使用し、駐屯地栄養士による材料や調理法の指定以外に実際に調理を行う糧食班の責任者

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太陽は銀河系の中では主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。